不登校について

【 不登校についての考え② 】

前回の発信から間が空いてしまいました。
頑張って②について書いてみます。

必ずしも学校に行くことだけが正しい、正解の道とは限らないと思う…という話でした。

様々な理由はあるにせよ、学校に行くことが苦しくて苦痛、そんな子も学校に行かなくてはならないともちろん思っています。

長い間登校していない子でも、久しぶりに話をすると「自分のせいで親に迷惑をかけている」「明日こそはと毎日思うのに」と話していきます。

早退が続く子の場合、お家の方から「クセになったら困る」「怠けてはだめ」といった言葉を聞くこともあります。

子どもが学校に行く理由の多くは「親に怒られるから」で、休みたいけれど休まないのは「親が怒るから」だったりします。

学校に行かなければいけない、それは絶対のルールで、それが守れない自分はおしまいだし、ダメな存在なんだ、と思っている子もみてきました。学校に来ていている子でも、同じことを思っています。

子どもたちのそんな姿を沢山見てきた私は、いつの頃からか(それって本当?)と思うようになりました。
そうまでして学校にこだわる理由は、と。

それは学校なんて行かなくていいよ、大事な場所じゃないよ、という意味ではなく、本当に苦しいとき大事にすべきことの優先順位を考えてみるのも大切じゃないか、ということです。

子どもが毎日学校に通う先に、親からみての何か絶対的な安心感があるならば、それは子どもが毎日元気に通ってくれないと得られない安心感であるかもしれません。

それが崩れてしまったとき、親はビックリしたり、思っていた以上に動揺したりしてしまいます。

これは③に繋がる考えにもなりますが、本来その安心感は自分自身の中に持つものじゃないか、これが私の考えたことです。

子どもが100点でなくてもだいじょうぶ、苦手なことがあってもだいじょうぶ、そして例え学校に行かなくてもだいじょうぶなのです。
だいじょうぶって「そんなその子をありのままに愛せる」みたいな意味なのですが。

何が正しくて正解か。その答えは出せませんが、みんなみんな、幸せであればそれでいいのだとしたら、学校に行くことだけが必ずしも正しくて正解の道とは限らないと思うのです。

だって幸せであればいいのだし、その幸せはあなた自身が、子ども自身が決めるからです。
それじゃ実際もう学校に行きませんとなった場合どうすればいいの、という意見もいただきます。

それはここでは詳しく書かないけれど、答えだけを書くとすれば道はいくらでもあります。

それを考えていくのがひとつの道だったりします。

また、学校と完全に距離を取ることを考える必要はなく、

子どもの思いや考えを聞きながら、学校とどんな距離感で付き合ってゆくか、お家で色々なことに丁寧に向き合い、考えていくこと自体が、親の社会性を示していく、子どもが本当の意味での社会性を身につけてゆく機会になるんじゃないかとすら考えます。

学校に行っていたらそれだけで勉強ができるようになり、社会性が身につく、だから行かなくなったら困る…ということではないのだと思います。

今日の投稿は、不登校の子本人というよりは、お家の人に向けた感じになりました。

またまたかなり長くなってしまい、次回の③で終わりにします。

真面目すぎました。

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