不登校について

【不登校についての考え③】

このシリーズも最後になりました。

子どもの不登校を通じてあなたが感じるすべてのことは、あなたの人生や価値観をより良いものにするために意味がある。
という話でした。

自分の子どもが不登校になると、日々本当にいろいろな感情が湧いてきます。

子どもへの愛情、辛抱、忍耐、時には言い様のない怒りやイライラ、そして思うようにならない焦り。
孤独感や孤立感、人に言えない後ろめたさ、夫婦間で意見が違うことも。
葛藤や重苦しさ、混乱、他にもいっぱい。

そんな気持ちとひとつずつ向き合うことが、時に自分自身を振り返り、見つめ直すような機会になったりします。

例えば私の話をすれば、娘を通じて「わたしだって休みたかった」「わたしの頑張りは何だったの?」そんな、心の声があることに気づきました。

また、娘の心配ではなく(近所になんていわれるか)(人に噂されるんだろうか)と、自分の心配でいっぱいになっている自分にも気がつきました。

娘を通じ、私自身も癒やされ、人ではなくて自分はどう思うか、そこをみるようになったような気がします。

起きた出来事は大きい壁のように感じるかもしれないけど、ひとつの無駄もなく全ての出来事、全ての気持ちには他でもないあなた自身の人生を良くするという意味があります。

だから、子どもの心配でいっぱいになった時には自分の心を見つめてみてください。

何をゴールとするか、それはそのお家によりそれぞれだと思うのですが、私自身は子どもが心から好きなことをして、笑っていられるならそれでいいと思います。

最後に、子どもの不登校に悩んでいるお家の方へ。
毎日毎日、子どもを支え、寄り添い続けることは、本当に本当にたいへんなことです。
さっきまで優しくできていたのに、突発的に怒りが抑えられなくなったり。決して言いたくなんかないセリフを子どもに吐いてしまって、後悔することもあります。
どうかひとりで抱えないでくださいといいたいです。
どんな立派な人でも、です。
子ども時代のあなたと自分の子ども、2人背負って歩いているようなものなのです。

また、もしも話をする人を選ぶなら、「自分にとってしっくりくる人」を選んでください。
不登校に対しては色々な考えや価値観、見解があるからです。
何がみんなを幸せにする答えかはお家で決めていいことだと思います。

「親の愛情不足」ということは、私は書いていません。
いわゆる愛情不足と見受けられる子はむしろ学校へは来ていることが多いように思います。

不登校をしている人がいたら、自分を責めないでほしい、難しいと思うけど。
そのことだけで自分をダメと思っているならそれは間違っている。学校へ来ていても色々な子っているでしょう。あなたはあなたでいいんだよ。
もしも私がもっと身近にいたら、世界は広いんだ、あなただけの場所がきっとあるよともっと力込めていえるのだけど。

長くなったのでこの辺で終わります。

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